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劉猛 (匈奴) : ミニ英和和英辞書
劉猛 (匈奴)[りゅうたけし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
 【名詞】 1. axe 2. kill 
: [きょう]
 【名詞】 1. turmoil 2. Hungary
匈奴 : [きょうど]
 (n) Huns
: [やつ, やっこ]
 【名詞】 1. (vulg) fellow 2. guy 3. chap 

劉猛 (匈奴) : ウィキペディア日本語版
劉猛 (匈奴)[りゅうたけし]
劉 猛呉音:る みょう、漢音:りゅう もう、拼音:Liú Mĕng、? - 272年)は、中国三国時代から西晋時代の南匈奴屠各種の一族。前趙劉淵の従曾祖父、劉副侖の父。『新唐書』宰相世系表では、一族の独孤部の首長である劉進伯の曾孫、劉尸利の孫、劉烏利の子で、去卑の弟、『北史破六韓常伝では、羌渠の弟となっている。
== 生涯 ==
泰始7年(271年)1月、劉猛は西晋に叛き、長城を出て孔邪城に駐屯した。武帝は婁侯の何楨を派遣して、を持たせてこれを討たせた。11月、劉猛は幷州を侵略するが、幷州刺史劉欽らによって撃ち破られた。
泰始8年(272年)1月、監軍の何楨は劉猛をたびたび討ち破る一方で、劉猛の配下で左部帥の李恪を誘い、劉猛を暗殺させた。李恪はそのまま西晋に降った。劉猛が死ぬと、子の劉副侖は鮮卑拓跋部に亡命したので(これが独孤部となる)、その部衆は去卑の子の誥升爰によって統領された(これが鉄弗部となる)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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